神様からの「恵み」「助け」を頂いて「感謝」する |
「感謝をすると奇跡が起こる」
マルコ 平野一郎司祭
1550年頃、イギリスのメアリー女王の時代にプロテスタント教会にキルビンという牧師がいました。
当時はプロテスタント教派が伝道すると迫害(はくがい)され、無残(むざん)に殺される時代で、彼も福音を伝えたために逮捕されることになりました。
彼は連行されながら、感謝の祈りをささげていると、「すぐに殺されるというのに何を感謝するというのだと」と言われ、キルビン牧師は「イエス様のために迫害を受けるなら、天国で大きな報いを受けるからです」と答えました。
しばらく行ったところで、キルビン牧師はうっかりして、石につまずき、転んでひどくけがをしたのですが、その時にも「この程度で済(す)んで感謝します」と祈りました。
キリスト教のプロテスタント教会を迫害していたメアリー女王が亡くなり、投獄されていた人たちが皆、解放されて、完治前のキルビン牧師も晴れて釈放されることになりました。
キルビン牧師は釈放された時、「あの時、捕らえられて死んでも、天国では殉教(じゅんきょう)者として大きな報いを受けるだろうと感謝の祈りをささげました。ところが神様は、私が転んでけがをし、病院に入るようにされました。もし私がけがをせずにロンドンに行ったなら、すぐに死刑になっていたことでしょう。神様は、感謝をすると奇跡を起こしてくださる方なのです」と感謝の祈りをささげました。
「どんなことにも感謝しなさい」
同じくメアリー女王の時代にプロテスタント教会のジョン・ブラッドフォード牧師はメアリー女王の前で、「もし、女王が私を自由にするのが意にそうならば、私は女王に感謝します。もし私を投獄(とうごく)するなら、女王に感謝します。私を火刑(かけい)に処(しょ)するなら、私は女王に感謝します」と語りました。
ブラッドフォードがこのように言った背景には聖書の「どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」(Ⅰテサロニケの信徒への手紙 5章18節『新共同訳』・『聖書協会共同訳』)というみ言葉が根拠となっています(『新改訳』は「すべての事について、感謝しなさい」と訳されています)。彼は「どんなことにも」「すべての事」、「ありとあらゆる時も」、たとえ「投獄(とうごく)」や「火刑(かけい)に処(しょ)」されようとも、「感謝」をしようしたのです。
神様からの「恵み」「助け」を頂いて
うれしい時や幸せな時は「感謝」しやすいですが、災いや不幸などはとても「感謝」できるものではありません。しかし、上述の「キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」の「キリスト・イエスにおいて」は「キリスト・イエスの恵みによって」、即(すなわ)ち、「神の助けによって」という意味がありますので、私たちは神様に「恵み」「助け」を頂いて、「感謝」を実践していきたいものです。