2019年 06月 01日
「初めに神は天地を創造された」 |
「初めに神は天地を創造された」
(創世記1章1節)
同志社大学を創設した「新島襄」は江戸時代の末期1860年、彼が18歳の時、この創世記1章1節の言葉に深く心を打たれました。
『神というお方がこの天地を造られた?この世のものは、神というお方によってつくられた?』 その時、まだ彼が見、聞き、教えられてきた神さまというのは、病気をなおしてくれるとか、安全を守ってくれるとかいうものであった。とても、聖書に書いてあるような神さまでなかった。自分の知っている『神さま』は、人間の住む家よりもみすぼらしい小さな箱に入れられたり、祠(ほこら)にまつられているものだった。彼の心は燃えた」のです。
感銘を受けた新島襄はその時の様子を、以下のように綴(つづ)っています。
「私はその本を置き、あたりを見まわしてからこう言った。
『誰が私を創ったのか。両親か。いや、神だ。私の机を作ったのは誰か。大工か。いや、神は地上に木を育てられた。神は大工に私の机を作らせられたが、その机は現実にどこかの木からできたものだ。そうであるなら私は神に感謝し、神を信じ、神に対して正直にならなくてはならない』」と。
新島襄はもっとちゃんとした聖書を読みたいという気持ちが大きくなっていき、なおも読み進むにつれて、ここに真理がある、という確信するようになりました。
by seikoukai_fukuyam
| 2019-06-01 13:46
| 今日のことば
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