福山諸聖徒教会 教会だより 2018年6月号 |
司祭 マルコ 平野一郎
アメリカ人のリサという女性は、リーダーシップ、優しさ、自制心など、あらゆる面で秀でた強さを持った人で、同級生や後輩からの憧れの的でした。
あるパーティーの席でみんなでリサの強さを褒め称える言葉を浴びせ掛けていた時、リサの口から出たのは意外な言葉で「私は弱いの。だから強いのよ」という言葉でした。
このように言った背景にはリサが10歳の時、弟と妹を連れ出して湖でボートに乗り、誤って落ちてしまった二人を助けられず、むしろ恐くて、見殺しにするようなことをしてしまった弱さがあったからでした。
しかも、両親には自分が二人を連れ出したにもかかわらず、二人にせがまれて止むに止まれずボートに乗ったと嘘を言ったのでした。
リサは元々強かったのではなく、当時の出来事への恐怖と罪責感に苦しみ、ハイスクルール時代、ずっとカウンセリングを受け続けていました。
彼女は神様へ信仰をしていて、パウロの言葉の「キリスト・イエスにおける力によって」、「弱い時にこそ強い」ということを実感することができたのでした。
その後、彼女はやっと、カウンセラーの「弱さ、未熟さ、情けなさを本当に知るとき、知らないときよりもあなたは強くなれる」という言葉を受けとめることができ、変えられていったのでした。
彼女は弱さ、未熟さを自分の中に持っており、その弱さを認めることによって、神様が働かれて、リーダーシップ、優しさ、自制心等、あらゆる面で秀でた強さを持つことができたと言えるでしょう。
このことは過信、自信、誇り、実力があると思う時には、神様が働かれないということになり、決して人は強くなれないと言えるのではないでしょうか。
弱いときにこそ神様が働かれる
パウロは実行力、行動力など才能、能力にたけて、一時、自分の力を誇り、過信し、高ぶっていたことがありました。
その時にパウロは思い上がることのないよう、神様から肉体のとげを与えられ、彼は肉体的にも精神的にも苦しんで、神様に何度も癒してくださるように祈りました。
しかし、神様からの答えは「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(Ⅱコリント12:9)というものでした。
パウロは弱さの只中でこそ、神様の力が宿り、働いて、強くなれることを悟り、「わたしは弱いときにこそ強い」(Ⅱコリント12:10)と告白するのです。
このように神様の力は、人間の弱さ、無力さに宿り、表れるということがわかります。
私たちは物事や出来事を自分の力によって、解決しようということがよくありますが、しかし、私たちは「自分では何もできない」という自身の弱さ、無力さ、未熟さを自覚し、そこに神様が働かれることを覚え、すべてを神様に任せ、委ねきっていきたいものです。