福山諸聖徒教会 教会だより 2017年5月号 |
司祭 マルコ 平野一郎
1984年にマザー・テレサが来日した時に、彼女が行く所、どこにでも報道陣と群衆であふれ、絶えずカメラマンがシャッターを切り、フラッシュがたかれました。
長旅で疲れていたマザー・テレサが、疲労感があるにも関わらず、いつも笑顔で応対した理由について、当時通訳の渡辺和子シスターに、「フラッシュが一つたかれるたびに、死にゆく魂が神様のみもとに安らかに召されるように神様と約束をしてあるのです。…疲れているけれど、笑顔をするのです」と打ち明けています。
天との契約
第二次世界大戦中、アウシュビッツでナチスの捕虜として捕えられ、いつガス室に送られて、処刑されるか、わからないという極限状況の中で、奇跡的に生き残ったヴィクター・フランクルという精神科医がいました。
彼は「私は、毎日毎時、死の危険にさらされていた。私が死なねばならない運命ならば、私の死は私と互いにこの上なく愛しあっていた母に生き永らえることを贈ることになるのであった。そして私が私の死まで苦悩を耐え忍べば忍ぶほど、私の母は苦しみのない死を迎えることができるように、私は天と契約を結んだのです」と語っています。
フランクルは、死は覚悟していましたが、しかし、死ぬとしたら、短くなった寿命をその分だけ母親の生命につぎ足されること、そして自分の死まで、苦悩を耐え忍ぶ代わりに、母親が苦しみの少ない死を迎えられるように、天と契約を結び、収容所内での無意味としか思えなかった自分の命に意味を持たせ、極限状態に耐え得ることできたのでした。
神様と取引する意味ある生き方
ここから私達も人生における苦難、苦境、逆境の時、神様との約束・契約を結んで、意味を持たせて生きる生き方は、正に「第三者の救いともなるのですが、それ以上に、自分の救い」(渡辺和子シスター)となるのではないでしょうか。
人のために神様と取引きする
旧約聖書に出てくるヤコブも「誓願を立てて言った。『神がわたしと共におられ、わたしが歩むこの旅路を守り、食べ物、着る物を与え、無事に父の家に帰らせてくださり、主がわたしの神となられるなら、わたしが記念碑として立てたこの石を神の家とし、すべて、あなたがわたしに与えられるものの十分の一をささげます』」(創世記28:20~22)と契約しています。
私達も「神様、苦悩を耐え忍びますから、あの人の苦しみを少しでも減らして下さい」、「神様、苦しみを我慢しますから、どうかあの人の病気が治りますように」などと、人のために神様と取引をして、生きていきたいものです。