福山諸聖徒教会 教会だより 2016年9月号 |
明日に架ける橋
司祭 マルコ 平野一郎
1970年、アメリカのサイモン&ガーファンクルが発表した「明日に架ける橋」という曲がありますので、以下に歌詞を紹介したいと思います。
あなたが疲れきって、(自分が)小さく感じられる時
あなたの目に 涙があふれる時には
私が それをぬぐってあげよう
私は あなたのそばにいる
あなたが 苦しい時には
そして 友が見つからない時には
荒波の上に渡す 橋のように
私が この身を横たえてあげよう
荒海に架ける 橋のように
私が この身を横たえてあげよう
あなたが 落ちぶれて
路上で 生活するようになり
夕暮れ(の寒さ)がひどく身にしみる時には
私があなたを慰めてあげよう
私があなたの味方となり
(夜の)闇が降りた時にも
そして 周りのあらゆることが苦痛であっても
荒波の上に渡す 橋のように
私が この身を横たえてあげよう
荒海に架ける 橋のように
私が この身を横たえてあげよう
帆を上げなさい シルヴァー・ガール
帆を上げて 海へと乗り出しなさい
あなたの 輝く時が来たから
あなたの全ての夢は その途上にある
ごらんなさい それがどんなに輝いているかを
あなたに 友が必要な時には
私がすぐ後ろについて(帆走して)いるから
荒波の上に渡す 橋のように
私があなたの心を 鎮めてあげよう
荒海に架ける 橋のように
私があなたの心を 和らげてあげよう
私達の心を和らげ、慰めて下さる神様
この歌詞は一般的には友情の詩であると思われていますが、しかし、「明日に架ける橋」はゴスペルの曲から着想を得て、作られた歌と伝えられていますので、このことから聖書の影響を受けていることは明らかだと思います。
実際、この詞と聖書の箇所と重なる部分が多く、先ほどの歌詞と、「神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない」(ヨハネ黙示録14:30)、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる」(マタイ11:28~30)、「わたし、わたしこそ神、あなたたちを慰めるもの」(イザヤ51:12)という聖句と共通点があることがわかります。
この歌詞や聖書の通り、神様は私たちの常にそばおられて、涙をぬぐい、心を和らげられ、慰めてくださることを覚えたいものです。