福山諸聖徒教会 教会だより 2016年8月号 |
白隠和尚と武芸者
司祭 マルコ 平野一郎
江戸中期頃、駿河の国に五百年に一人と言われる、臨済禅の逸材の白隠和尚という素晴らしい禅の老師がいました。
ある日、今の九州辺りの西国という場所から何日も歩いて、今の静岡県沼津市の駿河の国の白隠和尚のところに、一人の武芸者が尋ねて来ました。
武芸者は寺の小僧に取り次いでもらい、やっと白隠和尚に会えることになりました。
武芸者は威儀を正してお礼を述べて、「私は武芸者で試合では常に命のやり取りをしなければいけません。和尚、本当に地獄と極楽はあるのでしょうか?この答えを高名な白隠和尚にお伺いしたいと思い、はるばる西国よりやってまいりました」とわざわざ会いに来た理由を伝えました。
白隠和尚はチラッと武芸者を見て、「お前がそのような質問をするのは百年早いわ。帰れ、帰れ」と一喝して、武芸者を山門の外へ放り出して、門をピシャッと閉めてしまいました。
武芸者は何日も何日も歩いてやっと、白隠和尚のところへ来たので、あきらめきれずに三日三晩、山門の外に立って、もう一度、白隠和尚にお会いしたいと小僧に頼みました。
小僧は見るに見かねて武芸者を白隠和尚のところへ連れて行きました。
和尚の前で礼を尽くして深々とお辞儀をする武芸者を見て、和尚は「まだ居たのか。貴様のような者には用は無い。時間の無駄だ、帰れ」とまた一喝しました。
さすがの武芸者も「ここまで礼を尽くしているのにこの糞坊主」と、腹が立って思わず刀の柄に手をかけました。
そこへすかさず白隠和尚は振り向いて、「それが地獄だー」と、怒りに任せて和尚を切り殺そうと刀を抜いた武芸者に向かって言い放ちました。
そこはさすが武芸者で、ハッとその意味がすぐに分かり「ははぁー。恐れ入りました。よくわかりました。ありがとうございました」と畳に頭をこすり付けました。
それを見て白隠和尚は微笑みながら、穏やかな声で「それが極楽だ」と武芸者に教えたという話があります。
内面的な天国と地獄
同じように聖書でも精神的な天国と地獄は「穏やかな心は肉体を生かし 激情は骨を腐らせる」(箴言14:30)、「心がうきうきすれば体も健康になり、気がふさげば病気になります」(リビングバイブル訳 箴言17:22)と表現されて、記されています。
このことから激情、怒り、憂いは心の中が「地獄」のような状態になり、反対に心を穏やかにし、また最後の武芸者のような、謙虚で感謝の気持ちを持つことは、心の中が「天国」のような状態になると言えるのではないでしょうか。
実践的には非常に難しいですが、私たちは心の中が激情、怒り、憂いなどを占めて「地獄」状態にならないよう、常に内面的に「天国」のような、平穏な心、また、へりくだり、感謝する習慣を身につけたいものです。