良曲 聖歌469番「わが主イエスよ」(動画) |
聖歌469番「わが主イエスよ」
1.
わが主イエスよ 愛のみ手に
身も心も ゆだねまつり
憂(う)き悩み 歩み行くも
主よ み心 なさせたまえ
2.
うれいの雲 胸をとざし、
涙の雨 袖(そで)にかかり、
わが望みは 消えゆくとも
主よ み心 なさせたまえ
3.
はかなき世を わたるときも、
天(あま)つ家に のぼる日にも、
ただみ旨に まかせまつらん
主よ み心 なさせたまえ
聖歌469わが主イエスよ"Mein Jesu,wie du willst"191022↑
【解説】
作詞のベニヤミン・シュモルク(1672-1737)はシュレジエン(現在はポーランドのシレジア)のブラウヒッチュドルフに生まれ、1702年からシュヴァイトニッツのフリーデンスキルヘの牧師となりました。
牧師としてのシュモルク師の生涯は正に壮絶というべきものでした。若い時から晩年まで苦難の連続だったからです。
シュモルク牧師の若い時、夫人と共に宣教・牧会活動し、朝早く訪問に出てかけ、真夜中に帰宅することはよくあることで、ある時は2~3日家を空けることもありました。
1704年、32歳だったシュモルク牧師が遠方の訪問を終え戻ってみると、家が火事になってすべて焼きつくされ、煙だけが立ち上っていました。
二人の息子が見当たらず、灰の山をかき分けると二人の息子はお互い、固くぎゅっと抱き合いながら死んでいました。
ショックを受けたシュモルク牧師夫婦は一瞬気絶してしまい、意識を取り戻してから神様に泣き叫びました。
涙で泣き叫んでいると、ふと神様はこの状況を知らないはずはないという考えが浮かび、このことも神様の御旨の中にあるはずだという考えが思い浮かびました。
それで二人の息子の遺体を前にひざまづき、祈り始めました。その祈りの内容が聖歌469番の詩となっています。
その後、58才の時、脳卒中になり、右の手足が不自由になり、白内障で失明し、65歳で生涯を終えました。
シュモルク牧師は多くの賛美歌を作り、ドイツ賛美歌に大きな影響を与え、第二のパウル・ゲルハルトと呼ばれました。
*パウル・ゲルハルト(Paul Gerhardt 1607-1676)―-バッハがマタイ受難曲の重要な場面で取り入れて有名になった賛美歌136番「血しおしたたる 主のみかしら」の作詞者です。